カーネル大百科

カーネルが生まれてから亡くなるまでのヒストリー。いかにオリジナルチキンを生み出し、世界中から愛されるようになったのか?

家族への手料理で、人を喜ばせる楽しさを知る。

1890 ハーランド・サンダース少年と家族

1890年9月9日、ケンタッキー州最大の都市ルイビルと川ひとつ隔てたインディアナ州ヘンリービルで、 ハーランド・サンダースは生まれました。
幼いころに父を亡くした彼は、工場で働く母を助けるため6才で料理を始めました。 弟妹と母のために焼いたパンが大喜びされたのが7才。
この時のうれしさをサンダースは生涯語り続け、その感動は「おいしいもので人を幸せにしたい」という ケンタッキーの理念につながっていきます。

相手を思いやるサービスこそが、ビジネスの基本。

1900~ サンダース少年

家を助けるため10才から働きに出たサンダース少年。 その後は独学で学びながら40種類もの仕事につきました。 ガソリンスタンドを始めたのは30代後半。
そこではガソリンを入れる際に埃まみれの車の窓を洗い、ラジエーターの水を確認するサービスを始めました。 それは「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」という信念を実践するもの。 経営は苦しかったものの、サンダースの信念は揺らぎませんでした。

9年もの歳月をかけて、ようやく“11ハーブ&スパイス”が完成。

1930 サンダース・カフェ

ガソリンスタンドの物置を改装してたった6席の小さなレストラン「サンダース・カフェ」を開いたのは1930年9月。 お店の目玉だったフライドチキンは、素材にこだわった手づくりの味で大評判となります。 1935年、人々への貢献により、ケンタッキー州知事から名誉称号「カーネル」を授与。 そして1939年、試行錯誤の末にオリジナルレシピの“11ハーブ&スパイス”を完成させました。 その味は、今も当時のまま受け継がれています。

逆境に負けず、なんと65才でフランチャイズビジネスに挑戦。

1955 キッチンに立つカーネル

ハイウェイの新設で経営が悪化。負債を払うためカーネルは店を手放します。 しかし不屈のカーネルは“フライドチキンのレシピを教えるかわりに、売れたチキン1つにつき5セント受けとる”という フランチャイズビジネスを65才から始めます。これが大成功。73才の時にはチェーン店は600店を超えました。 世界中の店舗を視察したカーネルは「自分の理想の調理法を受け継いでいる日本のケンタッキーが一番好き」と よく語っていたといいます。

世界中の人々を幸せにし続けた、90年の生涯。

1980 もてなすカーネル

他人を家人のように温かく迎えて、もてなす。 伝統的なアメリカ南部の人々の親切なもてなしを「サザン・ホスピタリティ」といいます。 カーネルにとってそれは、最善を尽くしておいしいものをつくること、 お客様にご満足いただいているかつねに耳と心を傾けること、人を喜ばせることにおいて妥協しないことでした。 人を幸せにすることに引退はない。そう語るカーネルは90才で生涯を閉じるまで現役を貫き通しました。

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